立川は鉄道が敷設されてから形成された街である
当初、甲武鉄道(後:国鉄)は甲州街道沿いに
下高井戸・調布・府中、八王子という路線を計画していた
しかし地元の反対にあい
北側を通る青梅街道沿いに計画しなおしたが、今度は田無に反対された
結局
両街道の中間地帯にある境村・立川村柴崎地区・砂川村の地主たちが誘致をし
甲州街道からはずれ
農村に過ぎなかった立川村へと新宿からの路線が開通し
その先は八王子につなげられた
1889(明22)年の事である
その後、立川には陸軍立川飛行場が開設され
敗戦により立川基地が米国占領となった頃には
賑やかな町へと変貌していった
1951年(昭26)年:財政再建と戦災復興事業の一環として日本国内で競輪場の建設ラッシュの時期
この地にも競輪場が開設され立川市営立川競輪が初開催された
その後、立川基地は米軍から返還となったが
モノレールも停まるほど巨大化した立川駅からは
今なお競輪場への送迎バスが忙しくファンを運んでいる
<昭和38年度・東京都四市競輪組合主催・連勝単式勝者投票券>
東京都立川市曙町
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